
えー私には姉がおります。
うちは話せば長くなる前置きがあって、だからここでは言わないけど
非常に母と娘二人の仲がいいと思う。
仲が良いというか、何でも話せる、、、でも無いけど
非常に信頼をしている。それは結構屈強な信頼関係だったりする。
東野圭吾の「手紙」を今更読みまして。
誰かを守りたくて
誰かの力になりたくて思考錯誤した末
本末転倒になるっていう出来事は無きにしも非ずだと。
でもやっぱ
お兄ちゃんが弟を思うのなら
どうして弟はどう思うのか、相手の気持ちは?
って
どうしてそこを考えられなかったのか
結果は直ぐには出ない事が多々あって
色々もどかしい、誤解や食い違いを経て
「あの時ああいう気持ちだったのか」って
そういうの、絶対あると思うのです。
でも私はやっぱしそれを、「遠回りしても誠実に」とか
まとめちゃうと変な言葉になるんだけど
そういう考えもあるのか、って
母親から叱咤激励されジワジワと知ってきたことだと思う。
勿論、母親だけではなく私が触れてきた社会から。
でも私にとって母親って指針であって
迷った時、悩んでいる時にはぶれない柱となっていた。
そういう人が身近にいる、居ないとでは
全然違うんだろうな、って思う。
感謝しかないな。環境に感謝。
で
一貫してお兄ちゃんは優しい。お兄ちゃんは自分のことを考えずに
人のことを考えてる様に思える
けれども
あーーーーまたこんがらがった。ぞ。
人の為を思う時
確実にその「裏」が存在する。
その裏を考え過ぎると裏には裏があってその裏の裏にも裏があって。。。って
永遠とループしちゃうので
だから結局結果でしか物事見えない時ってあるけど
うーーーーんうーーーーーーーーーん難しい。
過去に私に好きな人が居て
その人も私を好きで居てくれていた奇跡のような期間があったとき
嘘をついてた事を涙ながらに言われたことがあって
いや、でも、それ私、、、別にどっちでもええし、、、って思いながら
「私に対して懺悔することで彼の心の重荷が減るかもしれんけど
私はそれを知ってしまったからなんか、、、感情微妙になったわ・・・」
って思ったし、それをそのまま、「私に言うことが逃げになってるならせこい!」
って言ったけど
でもやっぱ、今思うと「浮気したんちゃうん」とか
変な探りいれて悶々とするんだったなら
(顔に出る子だった+私の勘がその子には良く働いたため)
まー言ってくれて良かったんかな、って今は思う
いやでもさ、やっぱ…自分が言うことによって逃げるところは無きにしも非ずかもしんないよね。
話が逸れましたが
読んでいて切なくなったし、悲しくなったし、憤りも感じたし
でも希望も感じたし愛情がそこにはあって
最近やっぱり根底には「愛って必要だよね」を思っていたので
凄くうれしくもなった。
思考1つなんだよな。
思考の方向1つで色々変わるんだよな。
ボランティアについても同タイミングで考える時があって
私は
「持ってる人は持ってない人に持ってる分あげれるんだからあげればいいやん」
っていうスタンスなんです、基本。
綺麗事に聞こえるかも知んないし綺麗事だ!ってまた変な書き込みとかあるかもしんないけど(笑)
だって
「持ってない人は持ってる人にあげたくてもあげれない」
ですからね。
気持ちもそうなんだよなー
気持ちにゆとりがある時は無い人を待ってあげれるのはやっぱり有る人だし
お金もない人はあげれないけど有る人はあげれる。
でもやっぱり世の中give and takeだから
貰ったんならありがとう、って必ず言うべきだし、何らかの形で表わすべきだと思うのね。
それがどんだけ遠回りになってもそうなんだと思う。思っている、現時点では。
ボランティアって言葉が持っている響きがもう
「偽善!」って聞こえる時もあるから致し方ないと思うんだけれども、
だって私も貰っていますからね…。って思うんだけども、、、どうなんだろう?
地震で元気無くなってた神戸の病院で歌った時
感動したって言ってくれた、泣いてくれたおじいちゃん、おばあちゃんが居て
私はその言葉の力みたいなものを未だに持ってるから
それって私が得た非常に大きなもので
それが私がtakeしたもの。歌と幾ばくかの募金が私がgive出来たもの。
じゃー綺麗に成り立ってるやん!って
むしろ私沢山貰ってしまいましてすんません…なわけでして…。
偽善なのかなぁ
じゃあ善って何なんだろう
純粋な善ってなんなんだろう
思考は巡ります。
全然まだ、途中。色々考える期間。楽しいね。